「今こそ先人の歩まれた道を」
                                  主事  駒谷欣一

 以前、かな型会社に勤めている方に聞いた話に、カメラや顕微鏡のレンズを造るかな型は、そのほとんどが日本で製造されており、レンズは少しの誤差や湾曲があれば焦点が合わず使い物にならない。そのレンズを造るためのかな型なので極わずかな狂いでも許されないそうです。どれぐらいの誤差までが許されるのかというと一ミクロン(一ミリの千分の一)だそうです。その超精密なレンズのかな型を造るには、機械だけで造ろうと思っても殆んどが一ミクロン以上の誤差が生じ規格外になるとのこと。しかし、最終的に技術職人が顕微鏡で見ながら仕上げをすると殆んどが完成できるそうです。最近ではその製造技術が海外に流出し、人件費が安い中国や東南アジアに製造の拠点が移っています。

 しかし、いくら海外で技術を叩き込んでも、いくら精密機器を使ったとしても、直ぐには完成されたものは出来ず中小企業で働いている技術職人といわれる人たちが、永年の経験を積み重ねることにより得た技術、匠(たくみ)の技をもって完成され、造り出されるということを聞かせて下さったのです。

 技術職人という言葉からも解るように、丁稚奉公から叩き上げられ厳しい修行に耐えられた者のみがその技術を修得できるのだと思います時、世間ではハイテク、ハイテクともてはやされてはいますが、そのような最先端の機械の技術でも、未だ人間の研ぎ澄まされた熟練の技には追いついていない現状であることを知らされた思いがするのであります。

 私達は、先人のおたすけ話を耳にするにつけ、羨ましく思えたり、自分もあのようになりたいと願ったりもしますが、しかし、先人がそこに到達されるまでには、どれだけの厳しい道程があったかを見逃してはならないと思います。毎日毎日苦労もいとわず理の思案と実行の努力を積み重ねられた上での素晴しいご守護の数々。先人の通られた道を振り返る時、今この旬こそ、しっかり親神様、教祖に後押ししていただけるような誠真実の道を通らずしては結構なご守護は望めないのではないでしょうか。

 用木であるお互いは一人ひとりのおたすけに真剣に立ち向かい親神様、教祖にお働きいただくほかにご守護の道はないように思います。今までの年祭の度毎に先人たちが年祭の旬を真剣におつとめ下さり、年祭活動を通して成人させていただいてきたこのお道であります。どうか教祖百二十年祭への三年千日も余すところ後わずか、この旬を悔いなくつとめ切って、旬にふさわしい成人の姿をもって晴れやかな心で教祖百二十年祭を迎えさせていただこうではありませんか。

 ちかみちもよくもこふまん ないように  たゞ一すぢのほんみちのでよ
 
                                 おふでさき第五号30