「おたすけの大前提」
                                  主事  冨松 幹禎

お恥ずかしいことながら、「おたすけ」とはどうすることかという事が、ちょっと解りかけたのはごく最近のことなのです。それまでは、おたすけとは、身上や事情で苦しむ人に親神様の思召をお取り次ぎして、心の掃除をしていただき、親神様のご守護をいただく事だと思っていました。

あれ? それがおたすけではないの? と思われる方がいるでしょう。確かに、み教えを取り次ぎ、ほこりを払い、心の入れ替えをしていただくことがおたすけですが、教祖のおたすけのひながたを見ますと、どうも少し違うというか、もっと大事な前提があるように思われます。

逸話編一〇七、「クサはむさいもの」によりますと、梅谷タネ様の赤ちゃんの頭一面に膿を持ったクサが出来ていました。教祖はその赤ちゃんをお抱きになり、「かわいそうに」と仰せられ、紙切れを少しずつちぎっては唾をつけて、一つ一つベタベタと頭にお貼り下さいました。そして、「オタネさん、クサはむさいものやなあ」と仰せられました。

タネ様はハッとして、「むさくるしい心を使ってはいけない。いつも綺麗な心で、人様に喜んでいただくようにさせていただこう」と深く悟られました。二、三日経った朝、綿帽子をかぶったような頭にクサがすっきりと浮き上がり、帽子を脱ぐようにして、見事にご守護をいただかれました。

さて、ここで問題です。この逸話の中の次のうち、どこに一番注目するべきでしょうか。
@「かわいそうに」と仰せられ、紙をちぎっては唾をつけて、一つ一つベタベタとお貼り下された。
A「クサはむさいものやなあ」とのお言葉にタネ様はハッと気付いて、むさくるしい心を使ってはいけないと深く悟った。
B二、三日で帽子を脱ぐように、見事にご守護をいただいた。
以上3点のうち、さて、どれでしょうか。

私が特に心にかけなくてはならないと思うのは@です。私はややもすると、Aに力を入れ、相手の方がハッとするようなお諭しをすることが、おたすけ人の最も大事な役割だと錯覚していました。Bは私達の関知する所ではありません。親神様は最適の時に、最適の形でご守護を下さるからです。

おたすけでの大前提は人様の苦しみ、悲しみ、寂しさを解らせていただくことです。お諭しやお説教は二の次です。人様の心の内を全て聞かせていただいて、苦しみや悲しみを少しでも感じさせていただく。そうしなければ、どんなお諭しも心に治めてもらえません。私はこの事に余りにも鈍感であったと今頃、反省している次第です。


掲載:立教167年10月号