コロンビア紹介   記 柴田念氏

コロンビアに関する情報について、コロンビア日系人協会の相談役の柴田念氏が書いたものが、わかりやすくまとめられていますのでご利用ください、とのことで送っていただきました。以下に記載させていただきます。
かつてコロンビアといえば、エメラルド、コーヒー、そして美人の国として聞こえていたが、今日では一般的にコロンビアと聞けば、麻薬、ゲリラ、誘拐等で知られ、いわゆる危険な国であると言われる事は否定できないけど、実はこの不名誉な面を補って余りある良い面が多々ある事を是非、ご紹介し、知って頂きたいと思う。

先ず、地理的概要では、南米大陸の西北端に在って、国の北端はカリブ海に突出しているグァヒラ半島で、北緯12度38分、最南端のアマゾン河岸レティシアは南緯4度13分、そしてこの南部ではエクアドル、ペルー、ブラジル諸国と、また東はベネズエラ、ブラジル両国、西北はパナマと計5カ国と国境を接している。

また、コロンビアは南米大陸の中で、太平洋、大西洋の両海岸線を有する唯一の国で、大西洋(カリブ海)沿岸は1,760km、太平洋岸は1,470kmの沿岸線を有し、海産物もそれぞれに特徴が異なって且つ豊富である。国土面積は1,162,240平方キロで日本の三倍強である。

コロンビアの地勢は、おおまかに東部と南部平原、西部山岳地帯とに大別される。東部と南部平原は広大な熱帯大密林に覆われ、アマゾンやオリノコ大河の支流が無数に入り乱れて流れている。

西部山脈は、高原地帯と山脈で、南米大陸最南端に発する大アンデス山脈は、大陸の西側太平洋岸を北上し、この国の南方で高原地帯となり、ここから東、中、西の三本に分岐してそれぞれ万年積雪山を幾つも有しながら、最高峰はほぼ6,000mにも達する。

気候については、不肖筆者の考察では、地球でも極めて限られた最高条件を有する国であることに疑いは持てない。それは、赤道に接する熱帯でありながら、海抜ゼロメートルからほぼ6,000メートルまでの地形があり、その高度差によって各々植生がことなるので、他に比類のないほどに動植物(生物)の種類が多種豊富である。

世界地図を広げて探索してみても、他に同条件の地域は見当たらない。強いて言えば、キリマンジャロの周辺、或いはボルネオの一部くらいであろうか?それにしても性質の異なった両大洋の海岸線を3,230kmも所有する地域は皆無の筈である。

要するに陸上では、年間を通じて平均気温は高度差によって固定されており、普通雨季と乾季が年間2サイクルで巡る以外は、日照時間の差も少なく、この地球上で、南にしても北にしても、緯度の高い所での生活感覚からは、一寸飲み込み難い天然条件ではあるが、これらの類まれな条件と、今日のハイテク等を利用しての、低コスト、環境汚染の少ない方法で例えば、農作物の品種改良とか、その他いろいろな分野での活用の可能性は無限に近いように思われる。

一口に言って、高緯度の環境では1年1作しか作付け収穫できない作物が、ここの環境なら理屈上では、年に365回もできると言う事である。加えて、ごく一部ではあるが、砂漠地帯も存在し、年間降水量1万ミリ以上の所もありで、最近日本の有名種苗会社の種を購入してみると、その生産地が日本国外であることが多くなっていること等を考えると、かような向きには、今後是非ともコロンビアをも視野に入れて頂いて、ご訪問、ご視察の上、ご検討のほどをお勧めする次第である。

さて、上述したのは主としてコロンビアの有する、優れた自然条件についてであったが、この国の国民についての優れた点にも触れさせていただく。

周知の通り、人種的には西欧系の白人、原住民(インディオ・彼らはベーリング海峡が氷河期に接続していた時代、アジアから渡来したモンゴル系という通説が有力)、黒人、等の交互の混血,即ち、ラテンアメリカ人で、遺伝学上言われるところの、雑種強勢効果に因るものか、男女ともに美男、美女が多く、特に女性は世界的ミス・コンクールにも常に上位入賞者が多い事は周知の事実である。

性格は総体的に陽気で親しみやすく、日本からの初期移住者が当時の世界的評価であった、日本人のトレードマーク、「礼節を重んじ、正直、勤勉」を完璧に実行して、強く印象付けて頂いたお陰で、大変親日的で信頼度が高く、後進の者は大いにその恩恵を被っている。また、識字率がラテンアメリカの中では最高であることも、一つの優れた資質である。

次に、コロンビア日系社会が他の移住地と大きく相違する点は、そのスタートに於いて移住条件が特殊であった事ではないかと考えられる。それは、当時日本の外務省が、邦人農業者を試験的に移住させる方針(棄民政策?)で、海外興業会社に移住地の購入、移住者の募集と輸送、経営管理等を委託した結果、土地約80haを購入し、農業移民10家族に渡航船賃全額を補助し、また家族当り2,000円前後の自己資金を携行させて入植せしめたものである。因みに当時の日本では、500円で結構な住宅の建築が出来たものだそうである。
そして、試験期間の三ヵ年経過後はその土地を無償譲渡し、成果良好の場合には、更に第二、第三の移住計画を立てるというものであった。そして、それが好結果と評価され、後続の二次、三次の移住が実現されたのである。

要するに、他の多くの移住地のように、当初は先ず、現地人所有の農園の労働者としてのスタートでは無く、最初から一応地主農家としてのスタートであった点が特殊条件であった所以である。しかし、勿論当初は家族全員、子供といえど、開墾や農作業、買出しや家事などの手伝いに駆り出されたものである。但し、開墾も他の南米移住地の様な原始林の大木相手ではなく、再生林か藪の伐採が主な対象だったと聞く。当然開拓にはそれなりの苦労があったことと想像はつく。

昭和初期に三回に分かれて合計159名が集団移住して以来、戦後は太平洋岸南部に企画されたバナナ・プランテーションに17名の青年が移住した以外、両国間の移住協定も無いまま、その後は移住者の新陳代謝も少なく、年を追うごとに、一世の生存者も減少の一途を辿っているのが現状である。

しかし、二世、三世、四世と子孫が育ってきており、彼等が自分たちのルーツを喪失すること無く、日系人協会を担いながら発展させ、且つ優良なコロンビア市民としても当国に貢献し、また日系人として日本との友好親善のために架け橋となって、活躍してくれるよう期待をかけている次第である。そういう意味合いも含めて、今秋10月30日には、従来10年毎に行ってきた移住記念祭を、せめて初期移住者が少数でも存命中にとの配慮から、前倒しに短縮して挙行することになり、ただ今その準備中で、内外から多数の協賛者と記念祭出席者を仰ぎたいものと期待を寄せている次第である。

前述した通り、コロンビアは近隣5カ国と国境を接しているにも関わらず、相互の交流も極めて少なく、お互いの事情把握に乏しいので、御誌への寄稿依頼に便乗させて頂き、当地の日系社会の環境、並びに現状の一端を述べさせて頂きました。